めざすもの

めざすもの

小学1年生から高校3年生までの最長12年間をかけて,「言語力」「数理力」の本格育成を目指します。

 

読めない,書けない,聞けない,そして考えることができない子供たち

いまの子供たちを見ていて,ともかく読めない,書けない,聞けない,そして自分で考えることができないと思いませんか。わたしたちは大学受験の現場で,その種の力が年々あまりに低下していくことに驚いていました。従来では考えられない水準でできない学生が近年は特に目立って増えています。東大や京大を受験するレベルの学生でも同様です。

たとえば,ノートの書き方を見てみると,書いている内容云々の前に,そもそもまともに書けていないことが実に多い。文字がきれいやきたないといった話ではありません。その更に前の段階で,わずか一行の文でもまっすぐに書けない。いきなりノートの真ん中から書き始めてすぐに場所がなくなってもどうして良いかわからずにただ停止している。他人には判読不可能な異様に小さく薄い文字を使って平気で書く,などといった,これまでまともにノートを見て指導をしてもらってきたとは思えない実態がありました。しかもそれが長年月にわたって放置されてきて癖となって固定化しているために,たとえば高校の3年間で矯正することはとても難しい。

こういうノートの書き方に象徴されるような,粗雑な「学習」を積み重ねても,うまく力がついていくわけはありません。これは「読み方」や「聞き方」でも同様ですし,何より「考え方」の習得においては決定的です。

 

‘ドーピング’では,やがて成長が止まる

勉強方法についてはより深刻な実態があります。大半の小中学校のの現場で,実際上要求されているのは,‘教育’ではなく,合格実績(=利潤)です。所詮,教育と利潤は両立なんかしないと断言する関係者を幾人も知っています。  したがって現場の講師は,どうしても短期的な成績上昇を考えざるをえず,そのための最も効率の良い方法である,生徒を教室に長時間詰め込んで,出そうなパターンに絞ってただ次々と反復演習をさせることに専念するわけです。こうすれば,それほど考えなくとも‘反射神経’で,同一問題ならばそれなりに処理できるようになり,‘そこそこ’の点数をかせぐことができます。そしていまどきの中学高校の受験ならば突破することも可能になってしまうのです。  これを業界では,裏で‘ドーピング’と呼んでいましたが,このようなやり方で中学高校に送られてきた生徒は見事に途中で成長が止まってしまいます。しかもこのようなやり方に慣れた生徒は,再び‘ドーピング’を要求し,それによって大学受験も突破しようと考えることが多い。しかしそれでは難関大学を突破することは困難です。

 

成績上昇の‘魔法’はない

魔法のように一気に,しかもラクをして,実力が上昇するような方法は基本的にはありません。それを喧伝する場所もあるようですが,〝実力上昇〟の部分を〝お金儲け〟に置き換えていただければ,想像できるように,そうそううまい話は転がってはいません。なおかつ,そのような内容を謳う場所の信頼性はいかがなものでしょうか。  そして,仮にそのような方法で短期的に目先の成績が上昇しているように感じても,やがて地道に「本物」の力をつけてきた者たちに追い越されていくでしょう。具体的には,その時期は高校3年生の夏を過ぎたあたりからです。

そのような付け焼き刃の繰り返しの方法では,難関大学の突破は叶いません。むしろその種の学生を落とすような試験問題がつくられるからです。なぜなら,大学側が欲しいのも,‘ドーピング’頼りで点数を何とか確保するようなタイプの学生ではないからです。これは,難関大学受験の現場にいる人は皆知っていることなのですが,その情報が小学教育の現場まではなかなか届いていないように見えます。

 

長期的展望

 

わたしたちが目指すのは,そのような‘魔法’の伝授ではなく,ごく普通の,まっとうな教育です。そのためには,このような悪い癖がつけられてしまう前の段階で始めなくてはならない。そう考えたときに,小学生の段階から直接,わたしたち自身でやろうという結論になりました。  わたしたちには,将来にどのような力が必要であるかがわかっています。そしてどのような学習をしてきた生徒が結局は伸び止まるかも現場での体験で直接に知っています。したがって,長期的展望で取り組むことがで

 

きます。

具体的には,徹底して丁寧に読ませます。きちんと書かせます。自分の頭で最後まで粘り強く考えさせます。それによって,ゆっくりではありますが,しっかりとした力をつけさせることに努めます。そうしてそのような基本的な力が身につけば,あとは高校になったときに,ずいぶんとラクになります。 そしてそのような力がついたことにより大学受験もゆとりをもって突破できることになるでしょう。それは,大学において更に発展した本質的な学問をする準備にもなります。さらにそのような学生こそが,まさしく大学や社会が求める人材でもあるはずです。